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最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)698号 判決

上告人

橋本輝雄

右訴訟代理人弁護士

柏崎正一

被上告人

岩崎正一

右訴訟代理人弁護士

西口徹

主文

原判決中、上告人敗訴の部分を破棄する。

前項の部分につき、本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人柏崎正一の上告理由第一点について

原審の確定した事実関係の下においては、上告人が、自ら申告、納付すべき相続税額につき、被上告人の出捐により法律上の原因なく利得をしたとの原審の判断は、結論において是認するに足りる。論旨は採用することができない。

同第二点の一について

預金債権その他の金銭債権は、相続開始とともに法律上当然に分割され、各相続人がその相続分に応じて権利を承継するものと解される(最高裁昭和二七年(オ)第一一一九号同二九年四月八日第一小法廷判決・民集八巻四号八一九頁参照)。これに対し、金銭は、相続開始と同時に当然に分割されるものではなく、相続人には、遺産分割までの間は、相続開始時に存した金銭を相続財産として保管している他の相続人に対して、自己の相続分に相当する金銭の支払を求めることはできないものと解される(最高裁平成元年(オ)第四三三号、第六〇二号同四年四月一〇日第二小法廷判決・裁判集民事一六四号二八五頁参照)。

上告人は、被上告人が亡父新太郎の遺産である預金及び現金を保管しているとして、その法定相続分相当額の支払請求権を自働債権とする相殺を主張するものであるが、右のとおり、預金については、銀行に対し、自己の相続分に相当する金額の払戻しを請求すれば足り、また、現金については、いまだ相続人間で遺産分割が成立していないというのであるから、被上告人に対してその支払を求めることはできず、右相殺の主張はいずれも失当である。したがって、これと結論を同じくする原審の判断は、是認するに足り、審理不尽をいう論旨はその前提を欠く。

同第二点の二について

一  記録によれば、本件訴訟の経過は次のとおりであると認められる。

1  上告人は、平成二年六月五日、被上告人の申請した違法な仮処分により本件土地及び建物の持分各二分の一を通常の取引価格より低い価格で売却することを余儀なくされ、その差額二億五二六〇万円相当の損害を被ったと主張して、被上告人に対し、不法行為を理由として、内金四〇〇〇万円の支払を求める別件訴訟(最高裁平成六年(オ)第六九七号損害賠償請求事件)を提起した。

2  一方、被上告人は、同年八月二七日、上告人が支払うべき相続税、固定資産税、水道料金等を立て替えて支払ったとして、上告人に対し、一二九六万円余の不当利得返還を求める本件訴訟を提起した。

3  本件訴訟の第一審において、上告人は、相続税立替分についての不当利得返還義務の存在を争うとともに(上告理由第一点参照)、予備的に、前記違法仮処分による損害賠償請求権のうち四〇〇〇万円を超える部分を自働債権とする相殺を主張した。

4  また、上告人は、本件訴訟の第二審において、右3の相殺の主張に加えて、預金及び現金の支払請求権を自働債権とする相殺を主張し(上告理由第二点の一参照)、また、前記違法仮処分に対する異議申立手続の弁護士報酬として支払った二〇〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の合計二四七八万円余の損害賠償請求権を自働債権とする相殺を主張した。

二  原審は、右事実経過の下において、係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは許されないとした最高裁昭和六二年(オ)第一三八五号平成三年一二月一七日第三小法廷判決・民集四五巻九号一四三五頁の趣旨に照らし、(1) 前記違法仮処分により売買代金が低落したことによる損害賠償請求権のうち四〇〇〇万円を超える部分を自働債権とする相殺の主張、及び、(2) 弁護士報酬相当額の損害賠償請求権を自働債権とする相殺の主張は、いずれも許されないものと判断した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  民訴法一四二条(旧民訴法二三一条)が係属中の事件について重複して訴えを提起することを禁じているのは、審理の重複による無駄を避けるとともに、同一の請求について異なる判決がされ、既判力の矛盾抵触が生ずることを防止する点にある。そうすると、自働債権の成立又は不成立の判断が相殺をもって対抗した額について既判力を有する相殺の抗弁についても、その趣旨を及ぼすべきことは当然であって、既に係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することが許されないことは、原審の判示するとおりである(前記平成三年一二月一七日第三小法廷判決参照)。

2  しかしながら、他面、一個の債権の一部であっても、そのことを明示して訴えが提起された場合には、訴訟物となるのは右債権のうち当該一部のみに限られ、その確定判決の既判力も右一部のみについて生じ、残部の債権に及ばないことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和三五年(オ)第三五九号同三七年八月一〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一七二〇頁参照)。この理は相殺の抗弁についても同様に当てはまるところであって、一個の債権の一部をもってする相殺の主張も、それ自体は当然に許容されるところである。

3  もっとも、一個の債権が訴訟上分割して行使された場合には、実質的な争点が共通であるため、ある程度審理の重複が生ずることは避け難く、応訴を強いられる被告や裁判所に少なからぬ負担をかける上、債権の一部と残部とで異なる判決がされ、事実上の判断の抵触が生ずる可能性もないではない。そうすると、右2のように一個の債権の一部について訴えの提起ないし相殺の主張を許容した場合に、その残部について、訴えを提起し、あるいは、これをもって他の債権との相殺を主張することができるかについては、別途に検討を要するところであり、残部請求等が当然に許容されることになるものとはいえない。

しかし、こと相殺の抗弁に関しては、訴えの提起と異なり、相手方の提訴を契機として防御の手段として提出されるものであり、相手方の訴求する債権と簡易迅速かつ確実な決済を図るという機能を有するものであるから、一個の債権の残部をもって他の債権との相殺を主張することは、債権の発生事由、一部請求がされるに至った経緯、その後の審理経過等にかんがみ、債権の分割行使による相殺の主張が訴訟上の権利の濫用に当たるなど特段の事情の存する場合を除いて、正当な防御権の行使として許容されるものと解すべきである。

したがって、一個の債権の一部についてのみ判決を求める旨を明示して訴えが提起された場合において、当該債権の残部を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは、債権の分割行使をすることが訴訟上の権利の濫用に当たるなど特段の事情の存しない限り、許されるものと解するのが相当である。

4  そこで、本件について右特段の事情が存するか否かを見ると、前記のとおり、上告人は、係属中の別件訴訟において一部請求をしている債権の残部を自働債権として、本件訴訟において相殺の抗弁を主張するものである。しかるところ、論旨の指摘する前記二(2)の相殺の主張の自働債権である弁護士報酬相当額の損害賠償請求権は、別件訴訟において訴求している債権とはいずれも違法仮処分に基づく損害賠償請求権という一個の債権の一部を構成するものではあるが、単に数量的な一部ではなく、実質的な発生事由を異にする別種の損害というべきものである。そして、他に、本件において、右弁護士報酬相当額の損害賠償請求権を自働債権とする相殺の主張が訴訟上の権利の濫用に当たるなど特段の事情も存しないから、右相殺の抗弁を主張することは許されるものと解するのが相当である。

そうすると、重複起訴の禁止の趣旨に反するものとして上告人の右相殺の抗弁を排斥した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。右相殺の抗弁について審理不尽の違法があるとする論旨は、前提として右の趣旨をいうものと解されるから理由があり、原判決中、上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、本件については、右相殺の抗弁の成否について更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官園部逸夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官園部逸夫の補足意見は次のとおりである。

私は、法廷意見に同調するものであるが、論旨で取り上げられていない前記二(1)の売買代金低落分に関する相殺の主張の許否の問題と、この種事案の実務上の取扱いについて、若干意見を述べておくこととしたい。

一  第一は、前記違法仮処分により売買代金が低落したことによる損害賠償請求権のうち、四〇〇〇万円を超える部分を自働債権とする相殺の主張の許否に関する問題である。前記のとおり、上告人は、被上告人の違法仮処分により本件土地及び建物の持分各二分の一を通常の取引価格より低い価格で売却することを余儀なくされ、その差額二億五二六〇万円相当の損害を被ったと主張して、被上告人に対し、不法行為を理由として、内金四〇〇〇万円の支払を求める別件訴訟を提起するとともに、本件訴訟において、右損害賠償請求権のうち四〇〇〇万円を超える部分を自働債権とする相殺を主張している。法廷意見の述べる一般論からすれば、右相殺の主張も訴訟上の権利の濫用に当たるなど特段の事情の存しない限り許容されることになるが、本件においては、別の手続上の理由から、もはや差戻審において右相殺の抗弁の成否について審理判断をする余地はない。

すなわち、金銭債権の数量的一部請求訴訟で敗訴した原告が残部請求の訴えを提起することは、特段の事情がない限り、信義則に反して許されないと解するのが相当である(最高裁平成九年(オ)第八四九号同一〇年六月一二日第二小法廷判決参照)。これを本件について見ると、別件訴訟については、本判決の言渡しの日と同日、当裁判所において上告棄却の判決が言い渡され、右損害賠償請求権の数量的一部請求(四〇〇〇万円)を棄却した判決が確定した。その結果、特段の事情の存しない本件において、上告人としては、もはや残債権について訴えを提起することができないこととなり、したがって、これを自働債権とする相殺の主張も当然に不適法となったものというべきである。

二  第二は、この種事案の実務上の取扱いである。前記のとおり、本件においては、上告人が平成二年六月五日に別件訴訟を提起した後、被上告人が同年八月二七日に本件訴訟を提起したところ、上告人が右相殺の主張をするに至ったものである。そして、別件訴訟と本件訴訟とは、その後も別々の裁判体で審理され、売買代金低落を理由とする損害賠償請求権については、別件訴訟の第一審判決がこれを認めなかったのに対し、本件訴訟の第一審判決はその一部を認めて被上告人の請求を棄却しており、裁判所の判断が異なる事態が生じている。

法廷意見も述べるように、一個の債権の一部について訴えが提起され、その残部をもって相殺の主張がされた場合には、原則としてこれらは重複起訴の関係に立たないが、民事訴訟の理想からすれば、裁判所としては、可及的に両事件を併合審理するか、少なくとも同一の裁判体で並行審理することが強く望まれる。このことによって、審理の重複と事実上の判断の抵触を避けることができるとともに、当事者、裁判所の負担の軽減にもつながることになるからである。もっとも、実務においては、様々な理由から裁判体相互間における関連事件の割替えが行われず、本件のように、これが別々の裁判体において審理裁判されることが少なくない。そのために、しばしば、審理の重複と事実上の判断の抵触が生じたり、訴訟経済に反する事態が生じている。しかし、必要とあれば適切な司法行政上の措置を講じて関連事件の円滑な割替えがされるよう配慮すべきであり、本件のような問題に対しては、そのことによって根本的な解決を図る必要があることを強調しておきたい。

(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信 裁判官元原利文 裁判官金谷利廣)

上告代理人柏崎正一の上告理由

第一点(法令違背)

原判決は第一審判決を取り消して、控訴人の不当利得返還請求を認容したが、右判断は不当利得に関する法条の解釈、適用を誤り、理由不備の違法を犯したものである。

一、原判決は、第一審判決同様、控訴人が被上告人名義でした相続税の申告が、被控訴人の申告として適法有効でない、すなわち無効であることを認めている(第三判断、二「不当利得に基づく返還請求権の成立について」1、原判決書五枚目裏七行目から同一〇行目まで)。

しかし、その無効な申告(控訴人はこの申告を被控訴人に秘して勝手にしているのであるから、後日無効とされることがありうることは承知の上であった)に基づいて控訴人が税務署に支払った金額が、なぜ控訴人の「損失」になるのか、またそれがなぜ被控訴人の「利益」になるのか、理由を付していない。原判決は縷縷相続税法の法条を引いて、相続税の申告、納付義務について説示した後、「控訴人が被控訴人名義の申告をし、納付しなかったとすれば、当然これにより相続税を納付しなければならなかったはずである……」とした上で、突如、「したがって、控訴人の被控訴人名義による申告が適法有効であるかどうかにかかわりなく、被控訴人は控訴人の損失により同額の利益を得たものと解するのが相当である。」という結論に飛びついているが、なぜこのような結論になるのか、理由が不備である。原判決は、被控訴人が「相続税法に従い自らその相続税につき申告、納付すべき義務を履行しないでおいて……不当利得を否定することはできないというべきである」というが、これは理屈ではなく、単なる感情論である。また、原判決は、被控訴人が自ら二分の一の相続権を主張するのなら、「進んで申告をし、相続税を納付するのが当然である」ともいうが、これまた本件不当利得の成否とは関係ない感情論である。後記のように、原裁判所は、被控訴人が相続税を免れようとするのはけしからんという感情に流されて、理由不備の判決をしているのである。

二、第一、二審の証拠から明らかなように、控訴人は相続財産である本件土地建物を、遺言も遺産分割協議も、被控訴人の相続放棄もないのにかかわらず、独り占めしようと意図していた。そこで、控訴人は、被控訴人に相続税を支払われては、被控訴人から本件土地建物について権利を主張されることを恐れ、故意に被控訴人に秘して、被控訴人名義の違法無効の申告をし、これに基づく被控訴人名義の税金(正しくは被控訴人の税金ではなく、過誤納金であり、金額も間違っていた)を支払ったのである。つまり、控訴人が被控訴人名義で相続税を支払ったのは、本件土地建物を独り占めしようとする企みの一環であり、そのための出費だったのである。その企みがうまくいかず、本件土地建物の独り占めに失敗するや、一転して、控訴人が被控訴人名義で支払った税金は同人の「損失」であるから、これを返還せよと主張しているのが、原判決流に言えば、「本件の実相」である。このような主張は、公平と信義則の上に立つ不当利得法の精神に明らかに反するもので、許さるべきではない。

控訴人が本件過誤納金の還付を求めることができなくなったのは、同人が還付を求める手続をせずに期間を徒過したためである。同人は無効を承知で、勝手に被控訴人名義の申告をしたのであるから、いつでも過誤納金の還付を求めることができたはずである(原判決が、「被控訴人が尽くすべき当然の義務を尽くしさえすれば……控訴人も過誤納付を理由に還付請求もできたのに」と、あたかも被控訴人に責任があるかのような言い方をしているのは誤りである。このあたりにも、原審の感情論が露呈している)。したがって、控訴人が過誤納金の還付を求めることができなくなったことが同人の「損失」であるというなら(控訴人が勝手に過誤納金を支払ったことが「損失」ではないはずである)、それは同人の還付手続の過怠によって生じたのであり、法律上の原因がある。また、被控訴人が相続税の課税を免れたのが同人の得た「利益」であるというなら、それは国の徴収権が時効によって消滅したためであり、これについても法律上の原因がある。しかも、右「損失」と「利益」は、右のようにそれぞれ別個の事由によって生じたのであり、その間に因果関係がないことは明らかである。

この間の事情を、取調べた証拠に基づいて正しく理解していた第一審裁判所(原裁判所は、後記のように、結審を急ぐあまり、当事者の証拠の申出をすべて斥け、形式的な弁論を数回行なっただけである)は、次のように判示している。

「もっとも、本件相続税の法定期限からの期間経過により、現在では、原告は被告分の納付税額を過誤納金として還付を求めることが手続上できず、国の被告に対する徴収権も時効により消滅しているとすれば、原告に損失が生じ、被告は相続税納付を免れるという利益を得たことにはなる。

しかし、右損失と利得は、租税法上の原因によって生じるものにすぎず、それぞれ法律上の原因があるともいい得るし、損失と利得との間に因果関係がないともいい得るであろう。また、観点を変えてみれば、原告は自らの意思により敢えて過誤納金を行った者であるから、その事実上の効果により他人に利益を与える結果になったとしても、民法七〇八条の精神、信義誠実の原則等から、不当利得返還請求をなし得ないとの見解も成り立ち得るところと思われる」(第一審判決「争点に対する判断」一、3)

三、原裁判所は、被控訴人が相続税を支払うのは当然のことであり、その支払いを免れようとするのはけしからんことであるという感情を強く持っていた(結審直前に被控訴人代理人が受命裁判官から面談を求められた際も、そのような口吻をもらしていた)。しかし、被控訴人が国に対する税金の支払いを免れることと、被控訴人が控訴人に対する金銭の支払いを免れることは別の問題である。相続税の支払いを免れようとする被控訴人はけしからんという感情論に把われた原裁判所は、両者を混同し、被控訴人の正当な防御権の行使まで嫌悪し、控訴人が過誤納金の還付を受けられなくなった「損失」と、国の被控訴人に対する租税徴収権が時効により消滅した「利益」の間に因果関係があるなどという誤った短絡的判断を下している。被控訴人は、長男であることをかさに父母の全財産を独占しようとした控訴人によって、甚大な損害を与えられている。幸い本件土地建物の持分二分の一は裁判によって確保したが、それ以外の相続財産はいまだ控訴人が全部持ち去ったまま独占し、遺産分割にも応じない。その損害は、本件不当利得返還請求額どころではない。したがって、被控訴人が不当利得に関する正当な法律論を展開して自らを防御しようとするのは当然のことで、これについて非難されるいわれは毛頭ない。原審は、これに対し、税金を納付するのは当たり前のことで、なぜそれを免れようとするのか、という単純な感情論によって、被控訴人の防御権行使を封じようとしたのであり、許さるべきことではない。原審は右のような感情論に終始したため、以下に述べるように、ほとんど審理らしい審理もせず、結審を急いだ。

第二点(審理不尽の違法)

前記のような感情論にとらわれた原審は、被控訴人の預金、現金等の支払請求権による相殺の主張、および弁護士報酬による相殺の主張について、ほとんど審理らしいことをせず、審理不尽の違法を犯している。

一、原判決は「甲第一号証の記載をもって右預金及び現金を控訴人が保管していると認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない」というが、当事者に立証の機会を与えないでおいて、「他にこれを認めるに足りる証拠はない」などと断ずるのは不当である。しかも、原判決は「(1)三菱銀行上原支店の普通預金および(3)現金については、甲第一号証の相続税の申告書には記載されているものの、同第三号証の修正申告書では右の記載は訂正されていることに照らして」というが、これは明白な誤りである。甲第三号証三枚目の財産明細表に記載されているのは、「課税価格の計算誤り」、「単価の評価誤り」および「申告もれ」であって(修正申告はこれらの点についてなされたのである)、これ以外については、甲第一号証四枚目の「相続税がかかる財産の明細書」記載のとおりである。したがって、甲第一号証の三菱銀行上原支店の普通預金および現金の記載が、第三号証によって訂正されているなどということはまったくない。このように単純なケアレス・ミスを犯しているのも、原裁判所が結審を急いで、ほとんど審理らしい審理をしなかった結果である。原判決はこの点について、控訴人の誤まった主張をうのみにしているが(平成五年九月二七日控訴人準備書面二、(二))、被控訴人には反論の機会も与えられなかった。したがって、原判決は、審理不尽の結果、被控訴人の控訴人に対する現金支払請求権を自働債権とする相殺を否定するという違法を犯したのである。

二、また、被控訴人の弁護士報酬による相殺の主張については、被控訴人が右主張を提出した当日(平成五年一一月一七日)に弁論が終結され、右主張についてはまったくなんの審理もなされずに、判決の中で判断だけが示されたのである。弁護士報酬の支払いも本件不法行為による損害の一種ではあるが、売買代金の低下による損害とは別種の損害である。当然これについては論議が尽されて然るべきであった。

結語

以上のとおり、原判決には、法令の解釈、適用の誤り、理由不備および審理不尽の違法があり、これらの点が原判決に影響を及ぼすことは明白であるから、すみやかに原判決を破棄して、被上告人の請求を棄却さるべきである。

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